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教育現場を離れて教育現場を視る-最近まで先生だった人に聞いてみた-

突然ですが、みなさんは、今の教育現場についてどう思いますか?

 

子どもに直接関わるいじめの対応力不足や、教育力不足。

カリキュラムに関わる、プログラミングや道徳の教科化。

長時間労働、休日返上の働き方による教員の疲弊。

 

なんとなくですが、マイナスな印象が強くなってきている気がします。 

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私自身も、こんなブログをたかだか1年強の教師生活で頭でっかちに書いちゃってるんですけど、ふと思ったんですよね。

「教育現場の中の人と外の人で見てる・見えてる景色が違う」と。 

 

ということで、これから少ない友人やその他もろもろのツテを頼りに、「先生の仕事って何?」っていうところから、「今の教育現場に本当に求められていることって何?」っていうところまで、いろんな人に聞いていくことにしました。

 

 

今回は、昨年度までとある都市の学校で先生をしていた友人に話を聞きました。

 

プロフィール
・某都市の小学校にて教員をしていた
・先生を目指したのは、4年生の頃。学級崩壊をしていた持ち上がりのクラスを導いてくれた先生に憧れて
・「一貫した指導ができる」「善悪の判断を分かりやすく示せる」「色々な指導の引き出しを大切にできる」先生が理想

なぜ、先生を目指したの?

ーまず、先生になりたいと思った理由を聞いてもいい?

 

小学校三年生の時に私のいたクラスが学級崩壊したんだよね。そして、4年生に進級する時もそのまま持ち上がりで。でも、4年生の時の担任の先生が最高のクラスにしてくれたことで、先生になりたいと思った。

3年生の頃の担任は、何かトラブルがあっても、根本から解決せず、とりあえず怒ってばかりみたいな人だったのね。だから、反抗が表立っている崩壊というより、積極的に関わり合おうとする環境ではなかった。

4年生になると、担任が変わったんだけど、その先生が本当に尊敬できて。まず、1日の目標を立て、達成するごとにシールを貼って集めるカードが一人一人に配られて、毎日帰りの会でもらうシールを楽しみに、みんなで協力したり、積極的に動くようになったんだよね。関わりあおうとしなかったクラスが!そして、私もいつの間にか毎日友達に会うのが楽しくなって、クラスのことが大好きになっていたんだよね。

私は、これが一種の魔法のように感じられて、不思議でたまらなかったのを覚えてて。自分もこんな奇跡を起こしてみたい!と強く思ったのがきっかけかな。

 

ー尊敬できる先生との出会いがあったからこそ、先生という道に突き進めたわけね。(私なんて土日休める仕事で給料そこそこっていうレベルでしか選ばなかった気がする…)

 

こんな先生になりたかった

ー先生になりたいというはっきりとした意思を持っていたなら、実際に先生を目指す上で理想の教師像みたいなものもあったんじゃない?

 

一貫した指導ができる
善悪の判断のラインを分かりやすく 示せる
○いろいろな話し方や指導の引き出しを大切にする
この3つが完璧にできることを理想としてたかな。

 

ー一貫した指導っていうと?

 

子どもたちに伝えることがコロコロ変わらないってこと。子どもたちにとっての安心って「わかること・出来ること・予想できること」だと思うんだけど、これが案外難しくて。だって、「こないだはこう言ってた!」「先生によって言っていることが違う!」「クラスのルールがコロコロ変わる!」みたいなことで教師の説得力がなくなっていって、簡単に信頼関係が崩れてしまうから。私が年間通してまぁ出来てるかな?と思えたのは2年目を終えた頃だったかな~。

 

ー子どもの気持ちがよく分かる。大人になっても、「昨日と言ってたこと違うやんけ!」っていう上司のことはあっという間に嫌いになる。でも言うことを変えないってなかなか難しいよね。それにしても、2年目で自己評価できてるのは凄い。

あと善悪の判断ラインを分かりやすくっていうのは?

 

大人の世界で言われる一般常識の感覚を育てるといったらいいのかな。

子どもって「そんなの言わなくてもわかるでしょ?」 というような事を平気でしてしまうんだよね。だからこそ、一定の基準をもって、善悪の判断ができるようになるということは子どもの将来のために必要なことだと思ってる。

私のいた都市では、その善悪の判断ラインについて、学校基準でルールを細かく決め、クラスにより差があまり出ないようにするように努めてた。でも、基準があったとしても、教師が強い気持ちでしつこいくらい徹底して伝えないとクラスに根付かない。

しかも教師の善悪ラインが子どもにも伝わるので、常に気は張ってないといけなかったかな。

 

ー確かに子どもって想像以上のこともするけど、想定以外のこともしでかすから、その都度なぜその行動が「してはいけないこと」なのか、きちんと分かってもらえるように指導しないといけないもんね。でもそれが一教師の価値観に委ねられるとそれはそれで偏った善悪にもなりかねないから、ルールがあると伝えやすくはなりそうだね。

あとは、いろいろな話し方や指導を大切にしていきたいって言ってたけど…

 

指導の方法って本当に様々で、奥が深いなあと思うんだよね。教え方はもちろんだけど話しかけ方も、声の大小や速度、駆け引きをするように強く言うこともあれば引くこともある。さらに褒める、叱るタイミングを見計らった指導など、やり方も無限にある。

私の理想は、これらを状況に応じて使い分けたり組み合わせたりして、1つのやり方に固執しない指導が出来るということ。年数が経つと、自分のやり方を押し通してしまいがちなんだよね、教育現場って。

でも、今の時代、子どもも多様化している中で、自分のやり方を突き通すばかりでは通用しない。だから、勤続年数関係なく、子どものために良いものを取り入れたり認めたり出来る教師でありたいなあと思ってる。

 

ー時代の移り変わりの中で、家庭環境も変わって。そうなると子どももいろんな環境を背負って学校にきているんだよね。「今まではこれでよかった」という教師のエゴを押し通すと言うのは、時代遅れの教育になってしまいかねないんだね。

 

先生になって改めて気づかされたこと

 ー話を聞いたり、SNSでの様子を見たりした限り、ものすごく高い視座をもった教員として現場でやってきたんだなあって印象を受けたんだけど、「なんか、こうじゃないんだよなあ…」と感じたことはなかった?

 

仕事自体にやりがいをもっていたので、理想と現実との大きなギャップっていうのはなかったかな。しいて言うなら、子どもは思っているよりしつこくてめんどくさいなあと感じる場面に何度も遭遇したくらいかな。これは別に、子どもを悪く言っているわけじゃなく、あくまで特性としてね。

子どもにとっては、大人から見たらどうでもいいと思ってしまうことが、毎日学校にやってくる理由になっている。それが台無しになったときの、テンションの下がりっぷりには目を見張ったよ。

特にそれを感じたのが、席替えというイベントと、友達との仲直りかな。子どもたちは、先生の口から発せられた席替えの約束をしっかり覚えてて、それを忘れようもんなら大事件なわけよ。クラスのムードは一気にどん底に落ちる。日付や何時間目、〇〇が終わったらやると明言し実行しないと、いつやるんですか攻撃が果てしなく続くし。

仲直りに関しても、双方が納得すれば解決とはならない。お決まりの台詞、「ごめんね」からの「いいよ」がないと家に持ち帰り、モヤモヤしたまま保護者に話してさらにこじれることもあるからね。大人からみたら小さいことでも、しっかり「いいよ」の聞ける仲直りをさせることは、心の安心のために大切なことなんだなあって。

 

ー大人になってからはどうでもいいと思っていたけど、たしかに席替えって重要なイベントだったかも。あいつとだけは隣になりたくないとか、好きな男の子の横になれますようにって、もはや呪う勢いで臨んでた気がする。クラスという限られた社会の中だからこそ、子どもたちは各々の心に楽しむ要素をもってるんだろうね。大人になるにつれて忘れているだけで。

 

今の教育現場の変化は評価の変化?

ー話はガラッと変わるけど、やりがいと誇りを持って、最近まで先生をしていた立場からみて、近年の教育現場へ向けられるどちらかというとネガティブな方向からの関心についてはどう思う?例えば、今年度から採用された道徳の教科化についてとか。 

 

さすがに、道徳の教科化はについては、やめてほしいとおもったよ。「何をもって評価するか」が難しすぎるからね。気持ちとか感情の部分で、教科書を読んで読み取って理想的な文章がかけていればOKのようなありがちな評価だと、結局国語力や文章力の話になるから、道徳の本来の目的からはかけ離れてしまうし。

確かに、保護者に子どもの成績を話す場合、評価があったほうが説明しやすいというのはあるんだけど、ただ道徳に関しては、どうしてその評価に至ったのかの経緯を説明するのも難しいというか。自分のフィルターを通して他人を評価するということへの責任がちょっと怖いかな。

 

 ー何をもって成長と捉えるのかとか、評価の基準が明確にできないからこその責任の重さはあるよね。

 

評価に関連していうと、今年から正式に教科化された英語も、去年までは外国語活動という特別活動の枠組みだったんだよね。私のいた自治体では、最初評価がなかったのに、いつの間にか所見を書かないといけなくなってたということはあったよ。簡単な英単語と会話を楽しむことに重点を置いた活動だったから、評価を求められても正直難しかった。もちろん授業中の様子は見ていたけど、子どもたちの授業の感想がないと所見書くのは難しかったよ。楽しんでたよだけじゃダメなのかな~っては思ってたし。

 

ー興味関心を持つきっかけになる活動も評価の対象になると、全く興味関心を持てない子どもにとっては苦しいかもね。それにしても評価という部分で大きな変化が起きてるね。

 

もっと現場のリアルを知って、向き合う姿勢を

ーそれにしても先生たちって本当に真面目というか。いろんな変化を納得するしない関係なく、きちんと実践していってるわけでしょ?私が働いていた時は、研修も頻繁にあった印象があるんだけど、在籍していた自治体はどうだった?

 

研修は本当に色々あったよ。私も1年目の時は初任者研修に必ず参加してたしね。内容も、ワークショップをするとかならいいんだけど、一方的に話を聞く機会が多かったから、眠かったし寝てた。ただ、同期と定期的に会う機会にはなってたから、地元を離れた立場からするとそこはありがたかったかな。

あとは研究だね。自分自身のもだけど、学校あげてとか○○研究会のとか色々あったよ。

 

ー私、本当にそこに在籍する意味がよくわかってなかったんだけど、なんで先生たち忙しいのに、研究までしてるのかな?

 

各先生が大事にしていることはそれぞれ違うけど、研究熱心な先生はステータス重視なのかなあって思うことはあったよ。すべての先生がそうではないけれど。○○研究会の●●先生の授業よかったと言われても、それが受け持つ子どもにどう活かされるかが大事だから、正直ピンとこないこともあったかな。でも、研究授業は私もしないといけなかったし、やったらやったで勉強にはなったよ。参考にしたい指導法とかも学べたしね。

 

ーその研究授業のために、めちゃくちゃ準備しなかった?

 

したよ。指導案もしっかり書くし、板書計画も立てるし、いつも以上に指導アイテム作り込むしで大変だった。

 

ー他の先生たちもそうだもんね。私も普段はほんとにあるものを使ってやってたけど、偉~い人が見に来る時は、作ったりしてた。でもやりながら、嘘ついてる気分になってたよ。

 

確かに、偉~い人たちは事前予告でくるのがわかってるからかしこまって準備をしちゃうよね。でもこれってリアルな現場じゃない。もっと普通の日のクラスに密着してくれたほうが、リアルだとは思ってた。暴れている子の様子とかを実際に見て欲しい。

 

ーそんなふうに、どこか上辺のきれいさだけを求めてるからかな?近年頻繁に報道されるいじめの対応もずさんなのかなって。

 

教育現場は、「いじめ」という言葉に対して「しちゃいけない」と過剰に反応しているけど、起こってしまうこともあるし、起こってしまったことは仕方ない。だからこそ、このいじめがあったという事実をきちんと関係各所にオープン化して、早めに対処して見ることのほうが大切だと思う。それなのに隠すでしょう?いじめは本来、隠したらダメなことだと思ってる。

でも、いじめの有無が学校の評価に結びついている節があるから隠すという事態につながっているんじゃないかなって。そんな学校への評価があるから「いじめのない学校が素晴らしい」ってなってるよね。確かに「いじめのない学校」は素晴らしいよ。でも、例え評価されるとしても「いじめの事実にどう向き合って対処した」かどうかが見られるべきポイントだと思ってる。

「いじめに気づきませんでした…」っていう言葉を耳にするけど、あれはない。嘘でしょ!?って思うもん。

成長の過程で、いじめが発生することも十分ありえるから、起こらないよう環境づくりをすることも大事だけど、同じくらいいじめが起こった時にどう対処したのかも大切。

 

ー同意します。偉い人隠さないで!って思う。

 

先生も一つの選択肢

ーところで今、団塊の世代が一気に退職して、先生が不足しているっていわれてるよね?もし、声がかかったら現場に戻る?教員免許ありで、講師制度もあるから、割とすぐにどこかしらで採用されると思うけど。 

 

実際に友達から、先生足りてないから働かないかという相談も受けたよ。でも断った。勤務先が遠かったっていうのもあるけど、今は地元に戻ってきてすぐというのもあるし、家庭のこともあるから、すぐに教壇に立とうとは思ってないかな。でも、教えるのは好きだから、自分の生活に余裕が持てて、きちんと学校と家庭の両立ができるようになったタイミングで戻りたいとは思ってる。

 

ーもし今すぐにでも両立可能な仕事とかあったらしないの? 

 

生活のリズムが保障されるような仕事は探してはいるよ。でもやっぱり教員目指して一直線に勉強してきて、新しく何かを始めようと思っても、一歩踏み出すのには勇気がいる感じ。そもそも、できることが思いつかないというか。

 

ーたしかに、私も教師辞めてからの転職はとても大変だった。前に進むにも選択肢がなくて。そういった意味では、先生を目指すにしても、もう1つ2つくらいの好きなこととかできることといった選択肢はあったほうがよさそうだとは思う。

 

これから先生を目指す方へ

ーなんか強引なんだけど、これから教員を目指す人にアドバイスみたいなのある?ほら、特に地元から離れていたから、慣れない土地で困ったこととかあったんじゃない?

 

それに関しては母校で、学生向けに話したこともあるよ。もう一人同級生と一緒だったから、私は割とリアルな話をしたかな。ゴミ出しのルールとか家賃帯によって住める家とか沿線情報とか。笑

 

ーそれ、めっちゃ欲しい情報じゃない?私とか、流れでわけわかんないまま先生なったから給料のことすら知らんやったし。イメージできるのはありがたいと思うよ。

 

見えない部分が多いからね。

でもこれ以上に一番伝えたいことって、健康であること、体力があることが大事ってことかな。やりがいはあるとは言え、世の中から指摘されている長時間労働はもちろん、休みなく常に動き回らないといけないから、疲れも溜まりやすいのは事実だし。しかも学校には菌がうじゃうじゃいるわけよ。かなり気をつけていないと、すぐに体調を崩してしまうよーって。

 

ー確かに、長時間労働はデフォルトだよね…。小学校は部活ないけど、普通に残業するし、持ち帰って仕事もするしね。週末も仕事のことがちらつくし…。休む間もないとはこのこと。

そして極めつけは、自分を待っている人が40人近く毎日やってくるということ。学生のころみたいにちょっとの体調不良で、やすやすと休めない辛さはあるよ。休むなら、ボーっとする頭で、その日の時間割を思い出して、何が出来るか伝えたり、取り組める課題や作業があれば場所や方法を伝えたりしないといけないから、責任はとにかく重大な仕事だと思ってる。だから、重圧から解き放たれる夏休みという長期休暇を楽しみに働いてたよ。あ、でもちゃんと夏休みも決められた仕事はしてたけど。

 

ー夏休みって、先生たちの唯一許されたオアシスだよね。ていうかそこでしか有給消化できないし。子どもは好きだし、成長もうれしいけど、休みたいという気持ちとは別次元の話だもんね。

うん。子どもは可愛いけど休みは普通にくれと思う。初年度から有給20日つくけど、使い切ることもないしさ。もう休みないなら、その分お給料を…と思わないかといえば嘘になる。笑

 

ー私は休みもお給料も欲しいよ。

 

とにかく目まぐるしく毎日がすぎていくから、自分の体調をないがしろにしてしまって、疲れや体調不良になることもある。それはもう仕方ないことだと割り切って、早めに学年の先生に相談することも大事かな。相談できる仲間を作っておくということも大切。そうしていれば、早退して病院に行くとか休むとかの選択肢が広がるので。自分の体調を悪くしないための判断を下せる環境づくりも、体調管理をする上でとても重要だと学んだかな。体が資本!でも責任はあるから、いざという時に頼れる仲間と環境を整えておくといいと思います!

 

 ー気軽に休めないからこそ、外堀を埋めておくのは、教育現場だけではなくどんな仕事でも大事だよね!

 

厳しさだけじゃない先生の世界

私自身も先生を経験していたからこそ、教育現場の実情はある程度理解はしていました。でも、考えが違えば、仕事に取り組む姿勢も変わってくるなと、今回の世間話みたいなインタビューで改めて感じました。あと、マジで私みたいな人間が先生とかなってごめんなさいと思いました。

 

あとは、先生たち一人一人が意識を高くもったところで解決しない問題もまだまだたくさんありそうだなとも感じました。えらーい人と現場をもっと近づけ、共に解決していくための方法ってないものなんですかね?もっとフラットな関係性が築けない以上、教育現場を取り巻く課題は解決されないのかなと思います。

 

とはいえ、先生はやりがいのある仕事であることは間違いなさそうだし、話を聞いているだけで、楽しんで教員してたころの記憶が蘇ってきたので、もしこれから先生を目指そうと思っている人なんかは、1対1でリアルな話をきいてみるっていうのもありではないでしょうか?上辺だけじゃないポロリもあるので、面白いですよ。