なごと

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誰しもが経験する痛みを優しく引き出す『聲の形』

皆さんは、人間関係において

「あー…やってしまったなあ」

という、罪悪感のような痛みを感じたことはありませんか?

 

人間誰だって、人と人とのつながりにおいて成功ばかりではないと思います。むしろ失敗の方が多いくらいではないでしょうか?

人間関係における失敗は、振り返ると自分を傷つけてしまうから、そっと心の奥底にしまいこんでしまうものですよね。これを不躾にもグリグリこじ開け、引き出すものが出てきたら普通、「やめろー!!」ってなると思うのですが、そうならない不思議な作品が聲の形です。

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簡単なあらすじ

聲の形』の始まりは、主人公の小学生時代に遡ります。主人公の石田将也はやんちゃで好奇心の塊のような小学生でした。そんな彼のいる学校に、先天性の聴覚障害で耳が聴こえない西宮硝子が転校してきます。

退屈を紛らわし、好奇心を満たす絶好の機会と言わんばかりに、将也は硝子をいじめるようになります。でも、出る杭は打たれます。彼の行き過ぎた行動に、クラスメイトも引いてしまい、非難され、いじめの標的とされてしまうのです。

そして、5年の時が過ぎ、高校生になった彼は、周囲との交流を拒み、自己嫌悪の塊になっていました。自分は許されないことをした人間だと、自殺を試みるまでに。

ですが、ずっと心につかえていた硝子へ伝えたい想いを胸に、彼女に会いにいったことで、少しずつ見える世界が変わっていく、いや変えていくという物語です。

 

誰にでもある痛みをこじ開けられる

将也のしたいじめは決して許されていいものではありません。

ですが、こういった相手に対する好奇心からくる過剰な行動って、誰にでも経験があると思うんです。いじめだけではありません。人間関係取り返しのつかなくなったことの中には、この行動に当てはまるものも多く存在していると思うんです。私なんか思い当たる節がありすぎて、今こうやって文字にするのが辛くなってきています。

聲の形』はそんな、誰もが多かれ少なかれ経験し、そっとしまってきた罪悪感や痛みを、グイグイグイグイ開けてきます。下着の引き出しを開けられる以上に抵抗感を示したくなるほどに。

 

正直つらい。でも悪くはない

ここまで書くと観るのがはばかられますよね。でも、このブログを、もの好きで観てくれてる人がいるなら、絶対観てほしいんですよ。私は。

「君に生きるのを手伝ってほしい」

これは、物語の終盤に出てくる、将也が硝子に向けて伝えた言葉です。

表面だけを捉えると、プロポーズのようなセリフですが、そうではありません。彼の一つの失敗から得たあらゆる経験とつながりと伝えたいという想いが、彼にこう言わせたのだと思うと、もう重みが凄いセリフです。

またこのセリフを言うだけの勇気を踏み出した将也と、このセリフをスッと受け入れた硝子が、ただただ人として尊敬できるのです。彼と彼女の関係だからこそより一層強く感じました。

何より、この言葉で自分まで救われた、許されたような気持ちになったんです。許されてはダメな失敗だらけですけど。でも、許されるために何をすればいいのか、そのヒントを得られたような感覚になるのです。見て見ぬふりをしてきた事実を突きつけられてつらいっちゃあつらいですけど、なにか一歩踏み出すきっかけをつくってくれる作品だから、本当に観ていてスーッと心が和らいでいくんです。

聴覚障害は繊細だから扱うべきではない?

聲の形』は聴覚障害を取り扱う作品ということもあり、物議を醸してました。でもこれは論点がずれてるというか、なんかそこばかり注目していては、物語が私たちに伝えたいことが伝わってこないことにもなるなあと思っています。

もちろん、「伝え」「つながる」ことの難しさと尊さを伝える方法は他にもあると思います。なにもセンシティブな障害を介して伝える必要もないのでは?という意見が出るのも不思議ではないと思う自分もいます。

でも、硝子が聴覚障害で「伝える」ことに難しさを感じていたからこそ、将也や他の友人達が「伝わらない」もどかしさを感じていたからこそ、物語の意図するメッセージが、スッとこちらに伝わってきたのかなとも思うのです。

彼らの脆くも強くなっていくつながりをみていて、「伝える」手段は目にみえないだけでたくさんあるんだよなあ…と改めて考えさせられました。

 

クリエイターの心意気も凄い

聲の形』は、物語もさることながら、クリエイターの非常に細かなこだわりが随所にちりばめられています。これは実際に映像を観てもらったほうが早いって言いたい!けどほんの少しだけ。

ファンタジーではなく、現実を帯びた淡い世界

柔らかだけれども現実味を帯びた美しい世界に目も心も引き込まれます。聖地巡礼にいく必要がないのではと思うほどの映像美に驚くのではないでしょうか。映像特典で山田尚子監督が「ファンタジーではない色」と言われていた最終形態がこれか!と思うと、形にできる京都アニメーションは日本の誇る企業だなと思いました。

ノイズをのせる繊細さ

「聲」という一方向だけでは捉えられないちょっとした音も「伝える」手段として非常に大事にされていたそう。だから、劇音楽を担当された牛尾憲輔さんは、ピアノの音を鳴らすあらゆる要素である、ペダルの軋む音や、鍵盤に当たる爪の音、内側でハンマーがなる音などの、普通はノイズとして見られる音にも注目し、楽曲づくりに活かしたというようなことを、インタビューで語られていました。

アニメの域を超えてる表情の豊かさ

登場人物の表情の豊かさにも驚かされます。ちょっとした心の揺れに対して、表情の変化の多いこと!もはや現実かと思うほどに、登場人物たちの心の揺れ動きが、表情一つで表現されていました。

向き合う時間を想像してしまうキャスト

あとは、声優の早見沙織さん!もう硝子があなたでよかった!いや他の声優さんもあなたしかいないと思うのですが、硝子の声が早見さんでよかったなあ…と観終わったあともずーっと思ってます。どれくらいの時間を硝子と向き合ったんだろう、そう思うと、そこにもなんだかじんわりくるものがあります。

 

人を受け入れる勇気と優しさを教えてくれる『聲の形

とにかく観て一緒に「あーでもないこーでもない」って語りたい作品です。あー、でも一人で黙々と考える時間も必要かも。

私は、「傷つけてしまったな」「あの時こうしていればよかったのかな」と思いあたる人はもちろん、自分にとって今大事な人になんだか会いたくなる、気持ちを伝えたくなる、そんな映画だと思っています。

痛いところをグリグリえぐられて、じわじわ胸を侵食し、気づいたらグズグズなってる、体力を消耗するタイプの映画なので、じっくり時間の取れる日に是非御覧ください。