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なごと

好きなものと猫とトイレ

教育現場を離れて教育現場を視る-道徳の教科化篇-

戦後、なんだかんだで見送られてきた「道徳」の授業の「教科化」。いじめ問題の深刻化など、子どもを取り巻く環境の変化からついに踏み込まれてしまいました。

 

もちろん道徳の授業で考えられる最低限の道徳的な心や倫理観はあるだろうし、何か問題を抱えた子どもを見つけるための手段にもなるとは思っています。でも、教科書を使って、評価されるものではないと強く思うのです。しかも使用される教科書が

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こんな、凝り固まって偏ったものならなおさら。

 

私は子どものころ、道徳の時間が嫌いでした。教師になって最も悩んだのも道徳の時間でした。良く分からない事例ののった教材本から、「おりこう」な道徳観を読み取って共有し合わないといけないのか、理解できなかったからです。もっと、ぶっ飛んだ考えをぶち込んでくれたほうが、真剣に向き合えると思うのに、学校、学級という狭い社会はそれを許してくれない、そんな気がしていました。

 

パン屋では国や郷土を愛する態度を養えないと和菓子屋に変えられた教科書なんかより、目の前にいる子どもたちに適した教材は日常に溢れていると思います。また、学校という場を飛び出してみて初めて見えるものもたくさんあると思います。

道徳的な心は、学校の中でだけで育つものではない。そう思うのです。

 

「私、道徳の時間苦手なんです」

と、ある女の子がいいました。なぜ?と聞くと「なんだか、自分が間違っているような気がするから」と答えたのです。具体的に何がっていうわけではないけれども、子どもながらに、道徳の授業に「正解」とされる何かがあるのを感じ取っているようでした。

 

子どもは大人が思っているよりはるかに賢いし、大人なんです。

育ってきた環境が異なるから道徳的な価値観や考え方に違いがあるのは当たり前。それを知る、認める、受け止める方法を、子ども自身が見つけていくのを手助けするのが本来あるべき道徳教育だと思います。でも結局「正解」らしきものに導かれ、自分の心に芽生えた違和感をぐっとこらえている子どもがいるんです。

「教科」ではなかったこれまでですら、このように感じている子どもがいるのに、評価される「教科」となったときに、学習指導要領で求められるような子どもが育つのか、疑問しかありません。

 

学習指導要領や教科書というレールにのった教科としての道徳で子どもたちは、本当に道徳を学べるのでしょうか?

道徳科の評価の具体的な在り方については,平成27年度に文部科学省において,
・ 数値による評価ではなく,記述式であること。
・ 他の児童との比較による相対評価ではなく,児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め,励ます個人内評価として行うこと。
・ 他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要があること。
・ 個々の内容項目ごとではなく,大くくりなまとまりを踏まえた評価を行うこと。
発達障害等の児童についての配慮すべき観点等を学校や教員間で共有すること。
・ 現在の指導要録の書式における「総合的な学習の時間の記録」,「特別活動の記録」,「行動の記録」及び「総合所見及び指導上参考となる諸事項」などの既存の欄も含めて,その在り方を総合的に見直すこと。
を前提に専門的に検討を行い,教師用指導資料の作成や指導要録の改正を行うこととしている。
各学校においては,これらに基づき適切に評価を行うことが求められる。

※小学校学習指導要領解説特別の教科 道徳編 第5章 道徳科の評価  第2節 道徳性の理解と評価 2 道徳科に関する評価より引用

 

数値でなく記述式、個人の成長を踏まえた評価だとしても、「いかに成長したか」について、担任教師のフィルターを通すことに変わりはないんです。人の道徳的な心やその成長を人が評価する時代。正直怖いなって思います。

 

「道徳」の「教科化」が与える、子どもと先生への見えないプレッシャー。どこかで爆発しないといいなと思うのです。実際に子どもと先生双方の考えを聞いてみたいな。