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なごと

好きなものと猫とトイレ

私と3月20日

日常

先週の話を今さらします。3月20日の話を。

大好きだった祖母の法事で、久しぶりに家族全員がそろいました。法事といっても、家族だけで済ませる簡易なものだったので、特に何をするでもなく、テレビをダラダラと見るみたいな、何の変哲もない休日。

 

ダラダラとみていたテレビから流れてくる音声とテロップに、驚きました。

22年前の3月20日は、歴史の教科書にも当たり前のように載っている「地下鉄サリン事件」が起こった日でした。

 

そして、12年前の3月20日。私の住む福岡を大きな揺れが襲った福岡県西方沖地震の日でもありました。

テレビで「福岡県西方沖地震から12年たちました」と流れてこなければ、思い出せないくらいの出来事になってしまっていることにはっとしました。自分も揺れを経験したのに、十数年で風化してしまっているという事実に。

 

なんで風化してしまったのか。ちょっと考えてみたらすんなり答えが出ました。

その瞬間を家族と一緒に迎えたからなんです。

当時中学生だった私は、揺れた瞬間すぐに家族の顔と姿を確認しました。冷静な妹は揺れが収まってすぐにドアを開けたことも覚えています。恐怖を感じたその瞬間に、そこに家族がいること。もちろん、被害らしい被害がなかったこともありますが、その絶大な安心があったから、自分の中で一大事として処理されないまま今に至ってるんだなと。

対照的に、2016年4月に発生した熊本地震。福岡も揺れました。その日は愛猫ひなちゃんと二人。お風呂につかっているときの大きな揺れ。とにかく怖くて、何を思ったか濡れたまま真っ裸でひなちゃんを抱きかかえていました。家族とはいえ、私よりも弱い彼女と迎える余震続く夜は不安でいっぱいでした。

 

恐怖を感じるとき、その場に大切な人がいること。この事実がこんなにも自分の記憶に影響するなんて当時の私は思ってもいなかったでしょう。

そういうことを考えていたら、久しぶりにそろった家族の顔をふと見て、なんだかホッとしました。

 

もちろん教訓として忘れちゃいけないことだとは思うんです。でも記憶から薄まるくらい、安心できる人との関係がそこにはあったんだなと思うと、幸せなことだとも思ってしまって。不謹慎と言われるかもしれませんが。

 

ちなみに不謹慎ついでに言うと、福岡西方沖地震の大きめの余震があった日、私は学校の健康診断用に尿を採取していました。


PeePoleⅡ

そう、ピーポールで。

大きめの揺れを感じる中で、再検査だけは避けたくて、手元が狂いながらもピーポールの穴に照準を定めたものです。トイレのドアを解放したまま。

 

冷静沈着な妹がいまだにこの検尿の話だけは笑って話すので、姉としていい仕事をしたなとも思うのです。え?

教育現場を離れて教育現場を視る-道徳の教科化篇-

日常 教育

戦後、なんだかんだで見送られてきた「道徳」の授業の「教科化」。いじめ問題の深刻化など、子どもを取り巻く環境の変化からついに踏み込まれてしまいました。

 

もちろん道徳の授業で考えられる最低限の道徳的な心や倫理観はあるだろうし、何か問題を抱えた子どもを見つけるための手段にもなるとは思っています。でも、教科書を使って、評価されるものではないと強く思うのです。しかも使用される教科書が

www.nikkei.com

こんな、凝り固まって偏ったものならなおさら。

 

私は子どものころ、道徳の時間が嫌いでした。教師になって最も悩んだのも道徳の時間でした。良く分からない事例ののった教材本から、「おりこう」な道徳観を読み取って共有し合わないといけないのか、理解できなかったからです。もっと、ぶっ飛んだ考えをぶち込んでくれたほうが、真剣に向き合えると思うのに、学校、学級という狭い社会はそれを許してくれない、そんな気がしていました。

 

パン屋では国や郷土を愛する態度を養えないと和菓子屋に変えられた教科書なんかより、目の前にいる子どもたちに適した教材は日常に溢れていると思います。また、学校という場を飛び出してみて初めて見えるものもたくさんあると思います。

道徳的な心は、学校の中でだけで育つものではない。そう思うのです。

 

「私、道徳の時間苦手なんです」

と、ある女の子がいいました。なぜ?と聞くと「なんだか、自分が間違っているような気がするから」と答えたのです。具体的に何がっていうわけではないけれども、子どもながらに、道徳の授業に「正解」とされる何かがあるのを感じ取っているようでした。

 

子どもは大人が思っているよりはるかに賢いし、大人なんです。

育ってきた環境が異なるから道徳的な価値観や考え方に違いがあるのは当たり前。それを知る、認める、受け止める方法を、子ども自身が見つけていくのを手助けするのが本来あるべき道徳教育だと思います。でも結局「正解」らしきものに導かれ、自分の心に芽生えた違和感をぐっとこらえている子どもがいるんです。

「教科」ではなかったこれまでですら、このように感じている子どもがいるのに、評価される「教科」となったときに、学習指導要領で求められるような子どもが育つのか、疑問しかありません。

 

学習指導要領や教科書というレールにのった教科としての道徳で子どもたちは、本当に道徳を学べるのでしょうか?

道徳科の評価の具体的な在り方については,平成27年度に文部科学省において,
・ 数値による評価ではなく,記述式であること。
・ 他の児童との比較による相対評価ではなく,児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め,励ます個人内評価として行うこと。
・ 他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要があること。
・ 個々の内容項目ごとではなく,大くくりなまとまりを踏まえた評価を行うこと。
発達障害等の児童についての配慮すべき観点等を学校や教員間で共有すること。
・ 現在の指導要録の書式における「総合的な学習の時間の記録」,「特別活動の記録」,「行動の記録」及び「総合所見及び指導上参考となる諸事項」などの既存の欄も含めて,その在り方を総合的に見直すこと。
を前提に専門的に検討を行い,教師用指導資料の作成や指導要録の改正を行うこととしている。
各学校においては,これらに基づき適切に評価を行うことが求められる。

※小学校学習指導要領解説特別の教科 道徳編 第5章 道徳科の評価  第2節 道徳性の理解と評価 2 道徳科に関する評価より引用

 

数値でなく記述式、個人の成長を踏まえた評価だとしても、「いかに成長したか」について、担任教師のフィルターを通すことに変わりはないんです。人の道徳的な心やその成長を人が評価する時代。正直怖いなって思います。

 

「道徳」の「教科化」が与える、子どもと先生への見えないプレッシャー。どこかで爆発しないといいなと思うのです。実際に子どもと先生双方の考えを聞いてみたいな。

醤油皿程度の器の大きさ、難儀。

日常

いきなりこんなこと言われてもと思われるでしょうが、

 

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うちの可愛いこのこ、便秘気味なんです。女子だから?

 

「うんこためると固くなって、出すとき苦しむし、最悪痔になるよ

と、体験談をもとに、よく声をかけてはいるのですが、こちらの心配はよそに、ためて出すタイプの女子のようで。

 

そんなかんじなので、にゃんとも清潔トイレにこんもり猫砂の山ができ、隙間からコロコロした茶色い物体がみえると

「うんこでたね~♡すっきりしたね~♡」

 とべた褒めしちゃうんですよね。 

そして、今日も2日ぶりのコロコロしたそれを見た時にもちろんべた褒めをしたんですが、ふとこう思ったんですよね。

 

「私だって褒められたい」

って。

さすがにこの歳になって、排便を褒められるのは気持ち悪いですし、そんなことで褒めてくれる大人もそこそこやばいなとは思うので、もっと他の部分で褒められたいなって。ていうかうんこしただけで褒められるなら、毎日褒められてます。

 

さて、またここで突然ですが、最近、誰かに褒めてもらいましたか?

年度末を迎える方が多いこの時期。多忙を極める中で、人の心に余裕がなくなり、荒んでいく時期でもあります。 

私自身も、なんとなくいつもより忙しく、黙って仕事をしてるため、家に帰って「あれ、今日だれかと喋ったっけ?」と1日を振り返ることもしばしば。

 

でも冷静になって思い返してみるとあの人のあの一言、あの文面で、げんなりしてた気分が持ち返したなみたいな瞬間があるんですよね。きっと忙しさを理由に、そんな嬉しい瞬間を見落としてしまっているんです。もったいないことこのうえない。ちゃんと見てくれてる人がいるのにその人の気持ちも無駄にしてるんですよ。

 

とはいえ、忙しい現実は変えられないし、自分のキャパも即座に大きくできるわけでもない。となると刺身醤油皿程度の器の大きさの私にとって、心の余裕を持つっていうこと自体がとても難しいことなんだなあと。

 

でも、仕事にしろプライベートにしろ、自分のことを見てくれてるひとの言葉に耳を傾け、一旦素直に受け止め立ち止まることで、醤油でべとべとになった器のふき取りくらいはできるのかな、とふと思いました。

 

なんで猫の便秘とうんこの話からここに行きついたのか、自分でも良く分かりません。

でも私が言いたいのは、痔になったときの便意は地獄ということ、

ではなく

心にゆとりを持たせるのも大変だけどやっぱり大事ということです。

ヒールで歩くお供にしたい音楽2選

音楽 日常

履くと女っぷりがあがるヒール。

普段、フラットな靴ばかりを選びがちな女性ならわかってくれると思うが、歩き方まで変わる。一歩が気持ち大きくなる。背筋がピンと伸びる。

 

くわえて、「ヒールで歩く」をもっと特別に、かつ楽しくするメソッドがあるのをご存知でしょうか?

 

「好きな曲を聴きながら歩く」

はい。たったこれだけです。

これだけで、「ヒールで歩く」が特別かつ楽しいものになるだけでなく、女っぷりもあがります。

 

ももうすぐそこ!というこのタイミングで

「ヒールで歩くお供にしたい音楽2選」をご紹介します。

 

 

Perfume 「Baby cruising Love

 

ヒールをきれいに履きこなし、何をしているのか目にとどめることが難しいほどの細かなダンスが美しいPerfumeからは「Baby cruising Love」を。正直Perfumeだったらどの曲でもヒールで歩くの楽しくなります。ヤスタカグッジョブ!

この曲を聴きながら脳内にイメージするのは、映画『モテキ』のダンスシーン。森山未來と一緒に脳内で踊ってください。爽やかな木漏れ日とシャボン玉があればなおよしです。

そして、あなた自信もなりきってください。あーちゃん?かしゆか?のっち?

私はのっちです。

 

東京事変 「キラーチューン」

 

椎名林檎嬢の溢れんばかりの美しさがちりばめられて、心わしづかみになること間違いなしのMVに引っ張られる形で、東京事変からは「キラーチューン」を。マジでキラー。

忠実な再現になればなるほど、ヒールで歩くのが楽しくなるという世の心理に従えば、地下からエレベーターであがってくるところから始めてください。気持ちいつもよりお尻を左右に振る感じで、もはや軽いスキップが似合う楽曲です。

あと、かならず、一回クルンと回転することをお忘れなく。私は一度誰もいないのをみはからってクルンと一回転したんですが、知らないおじさんに普通に見られてしまったことがあります。でも気持ちは椎名林檎なので問題ないかと。

 

 

いかがでしたか?

たったこれだけかよ?って。おっしゃる通りでございます。

でもね、別に「ヒールで歩く」を盛り上げる曲なんて、なんだっていいんですよ。自分が好きな曲なら。あと、とりあえずPerfumeだけはiPodもしくはウォークマンに入れておくといいと思います。普段冴えない三十路寸前会社員でもPerfumeになれっから。気分だけは!!!

 

これから外出が苦しくなくなる時期がやってきます。

楽しい散歩をいい女ぶって楽しんでみませんか?

 

 

GAME

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娯楽(バラエティ)

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東京コレクション

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お尻が笑う

日常

突然ですが、「屁」って知ってますか?

お尻の穴から

ブッ

とか

プゥ↑

とか

プスー

とかいう効果音とともに、アロマが体内から出てくる生理現象。

 

家では遠慮なくしているって人がほとんどだと思います。

外ではどうですか?

 

会社で。大事な会議中。手元にガス〇タンなんてない、かといってトイレに逃げ込むわけにいかない、そんな時どうしてますか?

 

こっそり放出しますよね?

 

もう効果音を出さないように細心の注意を払いながら出しますよね?

アロマに関しては、もう見て見ぬふりかましますよね?

今日の私ですよね?

 

ホント、会社で屁をこきたくなるタイミングってことごとく悪くて。

普通に自分の机で仕事してるふりしてる時に、「時は来た」ならなんとでもなるのに。

もう密室殺人もいいとこですよ。ちなみに昼間豚骨ラーメン食べたんでめっちゃきつめのアロマ焚きました。

 

もう、なんで生理現象なのに我慢しないといけないのでしょうか?辛い。

 

という気持ちがたかぶりすぎて、今日の家への帰り道、誰も後ろにいないことをいいことに大音量で屁をかましながら帰りました。

なんだか清々しい気持ちになりました。

 

本当は今日のネイルとかブログに書いてみたい。